
ねぷろふ
※ これはわざとです。アートなので。
そういえば最近、いきていますって何だろう、と思うことがある。
朝起きて、スマホを見て、なんとなく時間が溶けて、気づいたら夜になっている。それでもまだ生きてる。すごいことでもないけど、すごくないわけでもない。
コードを書くときも、最近は結局AIに聞いて、AIに書かせて、レビューも半分くらいはAIだ。自分が書いているのか、AIが書いているのか、だんだんわからなくなってくる。でもよく考えれば、紙とペンの時代の人から見たら、今の自分だって十分ずるをしている。道具が変わっただけかもしれない。いや、道具が思考そのものを変えてしまっているのかもしれない。それって、悪いことなのか。
鉛筆で書いていた人が消しゴムを手にしたとき、誰かはきっと「努力が足りない」と言ったはずだ。たぶん。
生きているというのは、何かをやろうとしては失敗して、それでも次の日が来てしまう、その繰り返しだと思う。次の日が来るというのは、よく考えるとけっこうな奇跡で、まあいいんじゃね、別に。
そもそも、生きている意味というものは「存在」するものではない。形而上の、人間の空想だ。だから、ただ流れに任せればいい。まあ、流れというものも本当はないのだけれど。
結局のところ、愛が大事だと思う。それは、まあ、その、女の子に対してとか、そういうことも、なくはないというか、あるにはあるというか、べつにそこは深く聞かないでほしいんですけど。前に好きだった人がいて、その人とはいろいろ複雑で、一方的だったのかもわからないのだけれど、僕が別の人を好きだったときにその人が最接近してきて、だから正直に別の人が好きだと答えた。でもそのあと、やっぱりその人のことが好きだったと気づいた。気づくのが遅い。その後しばらくして彼氏がいるという話を聞いて、ああそうかと思っていたら、別れたらしいという話も聞こえてきて、今はもう別のところにいる。よくわからないけど、とりあえず今も好きです。以上です。深く聞かないでください。
とにかくそれだけじゃなくて、目の前のパソコンで、AIを使って何かを作るという行為への愛とか、そういうものでもいい。なんだっていい。対象はなんでもいい。
だから、なぜ生きているのかなんて、わからなくていい。いつか死ぬ。
一人しかいない。さみしいかと言われれば、まあ、そうかもしれない。でも考えてみれば、宇宙だって最初は一つの点だったわけで、孤独というのは何かが始まる前の状態のことなのかもしれない。
